聞かせようと思った怖い話

聞かせようと思った怖い話

夏休み中に、小学生の娘のお友だちが遊びに来て、お泊り会を開催しました。うちでの開催は初だったのですが、無事終えてとりあえず何よりです。楽しんでもらえたようで、娘も喜んでいました。

ただ、唯一心残りだったのが、娘とお友だちに「怖い話して!」とせがまれたのに対して、それに応じることができなかったことです。いいお話が思いつかなかったんですよね。

何かフィクションを作り上げれば、お話できないこともなかったのですが、本当っぽい嘘話を聞かせるのは良くないかと思い、実体験で組み立てようとしたのがいけませんでした。今思えば相手は子どもなんですから、昔話を利用してよくあるお話をすればよかったんですよね。難しく考えすぎていました。

いえね、実体験では1つ、とっておきのお話があったのですが、リアルすぎて向かないかと思って躊躇してしまったのです。

その実体験は、私が高校生の時に体験したことです……

ある晩、私は夜中に目が覚めました。トイレに行きたいわけでもなく、寝苦しいわけでもなく、なぜかパチッと目が覚めてしまいました。

ベッド脇にある時計を見ると、時刻は深夜2時半。まだまだ眠る時間はいっぱいありました。

再び眠りにつこうと目を閉じるも、全然眠れる気がしません。10分くらい寝ようと格闘しましたが、やはり眠れません。

「仕方ないから、朝までTVゲームでもして学校までの時間を潰そうか」

そう思った私は、目を瞑ったまま体を起こそうとしました。しかし、突然おなか辺りに重いものがのしかかり、起き上がりかけた上体を再びベットへと押し付けました。

「あれっ!」

異常を感じた私は目をパッチリ開けておなか辺りを見てしまいました。すると私のおなかの上には、裸の小さな子どもが座っていました。男の子か女の子か分からない、小さな子どもです。

その子と目がハッキリと合いました。

「あ、まずい!」

私はすぐに目を閉じました。まだ状況をしっかり把握できてはいませんでしたが、何かいけないものを見てしまったという感覚はすぐに感じたからです。

目を閉じたまま、私はじっとしていました。手足は微妙に動かせましたが、痺れている感じで大きく動かせません。

その状態で、長い時間、おなかの上の重みにたえました。

やがて、おなかの重みが無くなったのを感じてまぶたをゆっくりと開けたところ、先ほどの子どもの顔が、目と鼻の先にあり、私の顔を無表情でじっと見つめていました。

「うわー!」

悲鳴をあげた途端の記憶は曖昧です。気が付いたら朝の目覚ましベルが鳴っていました。

あれは夢だったのか、現実だったのかは分かりません。ただ、その後数日間、おなかに筋肉痛のような痛みが続いてとれませんでした……

この程度の実体験だったら、今の小学生は怖がらなかったかな?(笑)

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防災の日に

九月一日は、防災の日ですね。

学校でも非難訓練と、子供の引き取り訓練があるので、お迎えに行かなくてはなりません。

引き取り訓練のお知らせの手紙を見ながら、「防災の日かぁ」と思い、そしてすでにあの東北の大震災から1年以上がすぎて、こうして歳月はあっという間にすぎていくのだと改めて思いました。

改めて思ったのは歳月の重みだけではありません。

人間の記憶の軽さ、についても考え込みました。あれほど、震災の影響を受けて、誰もがみな神経質になり、敏感になっていたのに、たった1年すぎて、そしていま、1年と半年がすぎて、震災を忘れてはいないけど、当初のような緊張感はすっかり薄れてきてしまいました。

去年の春は、それこそ、防災バックをあわてて用意して、非常食とかもさんざん買い込みました。私自身もそうでしたが、水のペットボトルを用意し、簡易トイレを準備し、枕もとに靴をおいたり、子供の衣服を点検したりしてました。

だけど、喉元すぎれば、というのは、まったく私にあてはまることです。

考えてみれば、阪神淡路大震災のことも、あれほどの大きな震災も今では遠い昔の出来事のようになってしまっています。

防災の日、と銘打つぐらいですから、まさにそういう意味で「改めて思い出し」て、「改めて気持ちをひきしめて」「改めて防災の意識を高める」ことが大事ですよね。

そしてまた、あらためて震災、津波、原発、それぞれにかかわる不幸な出来事、悲しい出来事にあわれた人々への深い気持ちを持つべきでしょう。何かを失くした人たちに、それが永遠に帰ってくることのない大きな悲しみを、失くしていない私たちが同じように考えることはできなくても、その気持ちを思いやることは大事なのではないでしょうか。

防災の日に、子供たちにも震災のときのことを話し、私たちがいざそういう場面ではどう逃げるのか、どうすべきなのかをもう一度確認しあい、そして、実際に悲しい出来事にあった人たちへの深い気持ちを持つことを伝えようと思います。

東京でも、関東大震災にちなんだ講話や念仏などが実はいろんな場所で行われているようです。震災、天災は、誰にでも降り掛かる大変な出来事であることを、「改めて」家族で思い出すようにしましょう。